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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)5693号 判決

原告 天野嘉敬

被告 東洋ホーム株式会社

右代表者代表取締役 宮崎喜代栄

右訴訟代理人弁護士 末政憲一

同 山地義之

主文

被告は原告に対し金一八万三九一五円及びうち金九万一三二〇円に対する昭和四九年八月二六日から、うち金七万〇五四〇円に対する同年九月二六日から、うち金二万二〇五五円に対する同年一〇月二六日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

この判決の第一項は、原告において金六万円の担保を供するときは仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し金八九万二五三〇円及び

うち金一二万九〇七八円に対する昭和四九年八月二六日から、

うち金一〇万七一五四円に対する同年九月二六日から、

うち金九万七四一〇円に対する同年一〇月二六日から、

うち金九万一三二〇円に対する同年一一月二六日から、

うち金九万一三二〇円に対する同年一二月二六日から、

うち金一一万四三九八円に対する昭和五〇年一月二六日から、

うち金二一万一四二〇円に対する同年八月八日から、

うち金四万三二〇〇円に対する昭和四九年九月一日から、

うち金七二三〇円に対する同年六月二六日から、

各完済まで各年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

≪以下事実省略≫

理由

一  被告が不動産販売を業とする会社で、原告が昭和四八年三月一九日被告に雇用され、以来営業管理課員として被告の業務に従事してきたこと及び原告の賃金は毎月二〇日締めで二五日払の約束であって、昭和四九年六月当時の賃金の額が基本給七万一〇〇〇円、精勤手当、職務手当各三〇〇〇円、諸手当一万円、以上固定給合計八万七〇〇〇円に加えて、残業に応じて残業手当が支払われるほか、通勤交通費が被告負担の約束であったことは、いずれも当事者間に争いがない。

二  原告は昭和四九年一二月二八日まで被告の従業員であったと主張し、本件各請求の大半はこれを前提とするところ、被告は同年六月三〇日ころ倒産し同時に原告に対し解雇の意思表示をしたと主張するので、まずこの点につき判断するのに、≪証拠省略≫によると、被告は同年六月二九日ころ手形不渡を出して倒産したことが認められるところ、≪証拠省略≫によると、当時被告の常務取締役であった同人は倒産の翌日ころ従業員を集め、被告代表者の意を受けて解雇の意思表示をした、というものの、従業員の全員が集まったかどうか確認していないし、その中に原告がいたかどうかも記憶がない、というのであって、原告本人が解雇の意思表示を受けたことを極力否定することと対比し、右証言をもってはいまだ右宮崎が原告に対し解雇の意思表示をしたとの事実を認めるに足らない。≪証拠省略≫によっても、そのころ被告を代表もしくは代理するいずれかの者から原告に対し解雇の意思表示がなされた事実を認めるに足らないし、他にこの事実を認めるに足る証拠はない。

三  そうすると原告は右倒産後もなお被告従業員たる地位にあったことになるところ、原告は以後同年一二月二八日まで就労したとしてその賃金を請求するので、原告の就労状況について判断するのに、≪証拠省略≫を総合すると、次のように認めるのが相当である。

被告は前示のとおり昭和四九年六月二九日ころ手形不渡りを出して事業の継続が不可能になったが、なお売掛金の回収や所有不動産の処分等を含め、資産、負債の整理等の必要があり、かつ当時被告代表者は骨折で入院中であったため、従業員のほとんどは倒産と同時に解雇したものの、総務、経理部門では田之口総務部長及び土井経理課長ら、営業部門では安部康時営業課員をして、右残務に当らせた。右倒産と共に被告の事務所(中央区銀座五丁目所在)は閉鎖され、右田之口及び土井は被告の顧問会計士であった五十嵐公認会計士事務所を本拠として右残務に当り、一方安部は、従前から被告が賃借りして同人に居住させていた中央区勝どき五丁目所在のマンションの一室を本拠として売掛金の回収や被告所有土地の処分等の残務に当った。なお同人の給与は歩合給制であったので、右倒産後も売掛金を回収しあるいは土地を処分すればそれに応じて歩合給が支給される関係にあった。一方原告に対しては被告側から具体的な指示はなかったが、また解雇するとの意思表示もなかったため、原告は同年七月一日ころ以後自身の判断で安部の居住する右勝どきのマンションに出向き、安部が営業のため外出する間も在室して、顧客からの連絡や苦情申入れ等の電話に対する応待に当るほか、安部の営業活動の補助のような仕事をしてきた。これに対し会社側(その代理人五十嵐公認会計士)も、同年七月二〇日分までについては右田之口ら三名のほか原告に対しても賃金相当額を支給すべきものと認めた。かくして原告は、会社側から明確な意思表示や指示もないまま、安部が右のような仕事を継続している間は、次第に仕事量は減少しながらも右のようなことをしていたが、同年八月いっぱいをもって、経理上も営業上もなすべき残務がなくなったため、同年九月一日土井及び安部の両名も八月いっぱいで退職する旨原告に伝え、退職した。以後被告の事業の実体は全くなくかつ被告に事業を継続しあるいは再開する意思はなく、原告もこれを了知し従って被告に対し指示を求めるなど労務提供の具体的行為もしないままなお右マンションに残留した。

≪証拠判断省略≫

四  右事実関係によれば、原告は同年八月末日までともかくも被告に対する労務の供給をしたものと考えるほかはない。けだし原告は、会社側から何の指示もないのに自身の判断で右のような仕事をしたのに過ぎないうえ、この間被告の業務に専念したものとも窺えないのであるが、他方被告としても従業員たる地位を保有する原告に対し何らの具体的指示もせず、かつ本来の事務所も閉鎖されている以上、原告に対し右が債務の本旨に従った履行に当らないことを主張しうべき筋合いでもないというべきであるうえ、右のような仕事は、原告の本来の職務である営業管理課員としての仕事との関連性を否定しえないものと考えられるからである。そうとすれば、被告は原告に対し、同年七月二一日以降同年八月末日まで分の賃金を支払う義務があるところ、その月額固定給部分が八万七〇〇〇円であることは当事者間に争いがない。その通勤交通費については、右のとおり前記勝どき所在のマンションに勤務したことが労務の供給として肯認される以上、同所までの交通費を被告が負担すべきものと解すべきところ、≪証拠省略≫によれば、同年六月までは通勤交通費として蕨から有楽町までの国電運賃である月額二五二〇円が支給されていたこと及び国電有楽町駅最寄りの数寄屋橋から右マンション最寄りの豊海水産埠頭まで都バスで月額一八〇〇円を要することを認めることができるから、合計月額四三二〇円を支給すべきものである。なお原告はその間残業したとしてその手当を主張し、原告本人はそれに副う供述をするが、右認定した業務の内容に照らしても、被告の業務のため残業まで必要であったとはとうてい肯認できないから、この主張は採用できない。よって右の間支払うべき月額賃金は九万一三二〇円であり、右期間は一月と三分の一に相当するから、その賃金は一二万一七六〇円となる。

五  次に、前二項認定の事実によれば、同年九月一日以降については、原告主張のように現実に就労したことを前提とする賃金の請求は失当に帰することが明らかであるが、なお引続き雇用契約関係が継続しているとすれば、民法五三六条二項ないし労働基準法二六条による請求権を考慮する必要がある(原告の請求はかかる主張をも予備的に包含するものと解するのが相当である。)ので、同日以降の雇用契約関係についてさらに考えてみると、前認定のように、同日以降被告の事業の実態が全く存在せず、被告としても以後事業を継続しあるいは再開する意思が全くなく、かつ原告もそのことを了知し従って被告に対し具体的な労務提供の行為もしないような場合には、行為の外形により黙示の意思表示による雇用契約関係終了の効果を与えるのが相当と解すべきである。そこでこれを解雇とみるか任意退職とみるかが問題であるが、この場合倒産による事業廃止という被告側の事情によって原告の意思にかかわらずかかる事態に至ったのであるから、労働基準法二〇条の法意に照らし、これを三〇日前にする解雇の予告があったものとして取扱うのが相当である(本件においては前示事実関係に照らし解雇権の濫用等その効力を問題にする余地はない。)。そうすると原告と被告との間の雇用契約は右九月一日の翌日から三〇日を経過した同年一〇月一日をもって終了することとなるところ、この間被告の事業が廃止されたため原告は就労することができなかったことになるが、右事業廃止が民法五三六条の適用上被告の責に帰すべき事由によるものと認めるに足る証拠はない。しかし、前認定の事実関係に照らし労働基準法二六条の適用上はなお使用者の責に帰すべき事由による休業に該当すると解すべく、よって同法一三条を経て、被告は原告に対しこの間平均賃金の六割の限度で賃金を支払うべき義務があるものと解するのが相当である。そこで右平均賃金を算定すると、同年六月分(五月二一日から六月二〇日まで分、以下これに準ずる。)の賃金は≪証拠省略≫により一二万五三六七円と認められ、同年八月分は先に判示したとおり九万一三二〇円であるところ、同年七月分は、固定給分八万七〇〇〇円に加え、通勤交通費は先に判示したところにより六月二一日から同月末までの三分の一月分については二五二〇円、七月一日から同月二〇日までの三分の二月分については四三二〇円を基礎とすべきであるから、合計三七二〇円として計算すべきであり、なお右七月分につき残業手当支給の根拠となる残業は八月分以後につき先に判示したと同様これを認めることができない。よってその日額平均賃金(右三ヶ月の賃金総額を総日数九二日で除した額)の六割は二〇〇五円(円未満四捨五入)となる。しかるに右休業期間は三一日であるからこの間の休業手当は六万二一五五円となる。

六  よって被告は原告に対し同年七月二一日から同年一〇月一日までの賃金として合計一八万三九一五円を支払うべき義務があるが、その余の賃金の請求は理由がないことに帰する。右賃金の支給日は、七月二一日から八月二〇日までの賃金相当分九万一三二〇円については同年八月二五日、八月二一日から同月末日までの賃金相当分三万〇四四〇円と九月一日から同月二〇日までの休業手当相当分四万〇一〇〇円の合計七万〇五四〇円については同年九月二五日、九月二一日から一〇月一日までの休業手当相当分二万二〇五五円については同年一〇月二五日である。

なお被告は、同年六月末の解雇を前提としてであるが、原告に対する預け金返還請求権をもって解雇予告手当債権の相殺の意思表示をした旨主張するところ、右が仮りに以上認容にかかる賃金請求権のいずれかに対する相殺の趣旨を含むとしても、労働基準法二四条一項により賃金請求権に対する相殺は許されないものと解すべきであるから、右賃金請求権に消長を来たさない。

七  原告は、被告が原告に対し昭和四九年一二月二八日解雇の意思表示をしたとして解雇予告手当を請求するが、右判示のとおり原告と被告との雇用契約は同年一〇月一日をもって終了したものであるうえ、右一二月二八日に被告が解雇の意思表示をしたと認めるべき証拠はない(原告本人の供述によっても、同日被告を代理する五十嵐会計士が、会社倒産時に解雇したのだから給料は払えない、と言ったというのにすぎない。)から、右の請求は理由がない。

八  原告は、同年八月一六日被告の業務命令で下田に出張し、あるいは同月二二日及び二九日に各都内出張をしたとしてその交通費等を請求するところ、被告の業務命令に基づいてもしくは業務の必要上そのような出張をしたとの点については、それに副う≪証拠省略≫があるけれども、的確な裏付けを欠くし、≪証拠省略≫と対比してもにわかに採用できず、他にこの点を肯認するに足る証拠はない(前示のとおりこの当時原告が被告の業務に就労したといっても、それに専念したとは認めえないのであって、右のような仕事も被告の業務と無関係にした可能性を否定できないのである。)から、この請求も理由がない。

九  次に原告は被告のために被告の仮事務所使用料として同年九月分から同年一二月分まで月額五万一〇〇〇円、合計二〇万四〇〇〇円を立替払いしたと主張してその償還を求めるところ、≪証拠省略≫によると、原告は前示勝どき所在のマンション一室の賃料として右主張のとおり合計二〇万四〇〇〇円を支払ったことを認めることができるけれども、前示のとおり被告は同年九月以後事業の実態が全く存在せず、かつ原告もこれを了知していたことに照らし、右が被告のために必要でありもしくは被告のためになされたと認めることはできない。≪証拠省略≫によれば原告は昭和五〇年以後も同室に居住してその賃料を支払い、現在は同室で自身の営業をしていることが認められることと弁論の全趣旨に鑑み、昭和四九年九月以降の同室の使用はむしろ原告自身の必要からしたものと認めるのが相当である。よってこの点の請求も理由がない。

一〇  さらに原告は、同年八月被告代表者から授権されて被告の業務の遂行のため訴外宮崎佳子をアルバイトとして雇用しその日給を支払ったとして、その償還を求めるところ、≪証拠省略≫によると、そのころ原告が同訴外人をアルバイトとして雇用し、その一六日分の日給合計四万三二〇〇円を支払ったことはこれを認めうるところ、右が被告代表者の授権によるものであることを認めるに足る証拠はないし、原告本人は、当時原告が度々被告代表者に呼ばれて病院に行くため事務所が留守になり、留守番として右が被告の業務上不可欠であった旨供述するけれども、≪証拠省略≫に照らし、また前認定の原告が当時被告のためにした業務の程度に照らしてもとうてい措信しえず、右は原告自身の都合でそのようにしたに過ぎないとの疑いが濃いから、この点の請求もまた理由がない。

一一  最後に、被告が原告に対し支給した同年六月分給与から、厚生年金保険及び健康保険の保険料として七二三〇円を控除したが、右保険料を同年五月分の保険料として所轄社会保険事務所に納付していないことは、当事者間に争いがない。しかしながら、健康保険法及び厚生年金保険法の諸規定によれば、事業主はその使用する被保険者の負担すべき保険料を納付する義務を負い、毎月の保険料を翌月末日までに納付しなければならない一方、被保険者の負担すべき前月分の保険料を報酬から控除することができることとなっているが、保険料を納付した後でなければ報酬から控除しえないわけではないし、右保険料納付は法律上被保険者を雇用する事業主の固有の義務であって被保険者の納付義務を代行するものではないから、事業主が保険料を納付しない場合に、右控除自体が不適法であるとか、これにより報酬から控除した保険料を被保険者に返還しなければならないとの法理はこれを見出すことができない。よってその支払いを求める原告の請求もまた理由がないことに帰する。

一二  以上の次第であるから、原告の被告に対する本訴請求は、前六項判示のとおり一八万三九一五円及びこのうち九万一三二〇円につきその賃金支給日の翌日である昭和四九年八月二六日から、うち七万〇五四〇円につき同じく同年九月二六日から、うち二万二〇五五円につき同じく同年一〇月二六日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 濱崎恭生)

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